田野前学長・学長顧問インタビュー ~好きなことを貫く力、そして人間万事塞翁が馬~

電通大との出会い

― 電通大に来られたきっかけは?

 本当にたまたまなんです。学会に行ったら、電通大から来ていた先生にたまたま会って、「いいやつがいないか、ポジションがあるよ」と声をかけてもらって。「私はどうですか」と聞いたら「オレと年が近すぎてダメだ」と一度は断られたんですが、まあ何とか認めてもらえました(笑)。

 日立には電通大出身者が多かったんですよ。現場のキーマンに電通大卒が多い、というのは日立にいた頃からずっと感じていました。それと、私は情報系ですが、情報理論という数学的に深い分野では電通大はトップレベルだという認識があった。社会を支える情報システムを電通大生が支えているという印象と、情報理論のトップレベルという印象の両方があったので、喜んで応募しました。

電通大での研究 ―人間の頭を動かすシステムを作る

― 電通大ではどのような研究に取り組まれましたか?

 一貫したテーマは「人間の知的処理を活性化するメディア・ツールを作りたい」ということです。これをHCI(ヒューマン・コンピュータ・インタラクション)という分野で研究してきました。コンピューターのパワーを、人間の頭をより良く動かすために使う、というのが根っこの考え方です。

― 具体的にはどのような研究ですか?

 代表的なものに「手書きメモとキーボード入力の比較」があります。授業中のメモを手書きとキーボードで取らせて、その後テストで理解度を測るんです。すると面白いことに、手書きの方が理解度が高いというデータが出てくる。なぜかというと、手書きだと話すスピードに手が追いつかないので、一度頭で理解して自分の言葉に変換してから書くわけです。対してキーボードだと早く打てるから、先生の言葉をそのまま書き写すディクテーションマシンになってしまう。

 実際にメモを見ると、キーボード派は単語数が圧倒的に多いのに、先生が使った言葉との一致率もほぼ100%。手書き派は単語数は少ないけれど、先生とは違う自分の言葉が混ざっている。一度頭を通っている証拠ですよね。便利すぎるキーボードに人間の頭が負けてしまっている、という話です。

 この研究をベネッセに持っていって「手書きが重要ですよ、キーボードはダメですよ」と話しに行ったこともあります。でも別のデータが上がってきて、キーボードを触らせると学生が勉強を好きになるというデータも出てきた(笑)。できない学生でもキーボードやタッチパネルで取り組ませるとやる気が出る、まずはバリアを突破することが先だ、という結論になってしまった。手書きの良さを伝えるのは難しかったですね。

 手書きのカット&ペーストを作ってワープロに活かせるようにしたりもしたんですが、なかなかうまくいかなかった。ワープロの一番いいところはカット&ペーストや量の多さだから、手書きでもそれができるようにすれば使ってくれるかなと思ったのですが、うまくいきませんでした。

― 3次元デザインの研究も印象的でした。

 トヨタと一緒に車の設計をテーマにした研究をしていました。今の設計現場では精巧なCGで作ったハンドルやダッシュボードをVRで見ながら議論をするんですが、あまりにリアルすぎると「この色合いが気になる」「素材がツルツルすぎる」という細かい話になってしまう。本当はサイズや全体の配置の大きな話をしたいのに、見た目の話に引っ張られてしまうんです。CGを作るのに何ヶ月もかかって、そのうえ大胆な思考錯誤ができない。

 一方で、よれよれの手書きの線でラフに描いた3次元モデルを使うと、「この形がちょっと違う」「もっと大胆にしていいんじゃないか」という本質的な議論が生まれやすい。消しゴムでさっと消して変えられるから、思考の試行錯誤ができる。

 今でも建築分野のCADで手書き風の出力が採用されているのはそういう理由からで、リアリティを上げると途端に色や細部の話になってしまう。スケッチで出すと「形そのものがおかしい」という大胆な意見が出てくる。当時私たちが研究していたことが今の最先端CADで使われているのを見ると、当時は正しいことをやっていたんだなと思いますね。

共創進化スマート社会 ―みんなで作ったビジョン

― 電通大の「共創進化スマート社会」というビジョンはどのように生まれたのですか?

 あれは私が研究科長になった頃に、大学全体で目指せるビジョンを作れないかと思って始まりました。I専攻・J専攻・M専攻・S専攻・SUS専攻と色々な専攻がある中で、全員が関われるような未来社会の絵を描きたかった。全専攻から教員を募って20人ほどに集まってもらい、みんなでコンセプトを作り上げたものです。学長になって作ったわけではなく、学長になる3〜4年前からみんなで作り上げてきたビジョンです。そのビジョンを国の事業に応募して通ったんです。

 「共創進化スマート社会」と聞くと、全てがデジタル化されてAIが効率的に管理する冷たい世界をイメージされるかもしれません。でも本当に言いたいのはそうじゃなくて、人間の幸せをちゃんと考えた上でのスマート社会なんです。効率最優先ではなく、人間の幸せというものをちゃんと考えないといけないよ、というのが後ろにあります。

現在の活動 ―やり残したことへの責任

― 学長退任後の今は、どのようなお仕事をされていますか?

 学長を6年やって退任するとき、スパッとやめて自由になるか、責任ある立場を続けるか、迷いました。でも6年間でまだまだ途中のものがある。責任があるからには続けないといけないと思って、今は2つの機構長を務めています。

 1つは「共創進化スマート社会実現推進機構」の機構長です。さっき話したビジョンはまだまだ実現途上なので、引き続き推進しています。学生チームもあって、数十人が参加しています。西地区のエレベーターのAPIが学生チームに公開されていて、外からAPIを叩くと行き先ボタンの「5階」を押したことになったりします。カメラも公開していて、自分が近づいてきたら自動でエレベーターを呼ぶシステムなども作れる。そういったセンサーやデバイスのAPIを数百〜1,000近く公開していて、それを使ってスマートな大学を作ろうという取り組みです。

 もう1つが「日本版 Industrial PhD 推進機構」の機構長です。これはヨーロッパで行われているIndustrial PhDという制度を日本に持ち込もうというプロジェクトで、去年10月ごろに始まりました。

― Industrial PhDとはどういう仕組みですか?

 M2の学生が「このテーマで博士研究をしたい」と胸に秘めたとき、研究を支援してくれそうな企業を自分で探してきます。大企業でも中小企業でも、地方自治体でもいい。そして指導してくれる教員も自分で探す。他の大学の先生でも構いません。この学生・企業・教員の3者が国に提案すると、企業には人件費として年300万円が支給されます。そして企業はそれを学生に倍返しする仕組みで、学生には年600万円の収入が3年間続く。さらに学生の研究費として年200万円、教員にも研究費として年200万円が支給されます。1人の学生のために3年間で2,100万円が投じられる計算です。

 ヨーロッパではこれによって、ドクター取得者が大企業だけでなく中小企業・地方・多様な分野で活躍する社会ができています。女性が半数を占め、地方でも4割近くが活躍している。ドクターが社会の幅広いところに根付いているんです。日本でもこの仕組みを根付かせたい。今は電通大で1〜2人と少ない枠でやっていますが、5〜6年後に国の制度として年間1,000人規模に育てることを目標にしています。今の2・3年生の皆さんが修士を終えるころには、もしかしたら間に合うかもしれません。

博士号について ―海外を知って気づくこと

― 日本では博士号取得のハードルが高く感じる学生も多いようですが、先生はどう思われますか?

 私はカーネギーメロンに留学したと話しましたが、海外に行くと周りは博士しかいないんですよ。博士号というのは「ちゃんと自分で考えられる人のバッチ」みたいなもので、持っていないと対等に話してもらえない場面もある。そのことに気づくと、自然と「取らないといけないな」と思うようになります。皆さんも海外で活躍しないといけないから、必要だなってすぐ思うようになると思いますよ。

 難しいかどうかという点では、確かに大変です。でも工学部・理学部系なら取りたいと思えば取れると思いますよ。行く人が少ないだけで、取れないわけじゃない。他の国と比べて特別に難しいわけでもない。日本の場合は文系の博士号の仕組みに問題があって、そもそも文系は博士を出さない文化があるのですが、それは変えないといけないと思っています。欧米はどんどん出しているのに。ただ、理系は頑張れば取れます。

 Industrial PhDの制度が整えば、博士に進む道がもっと多様になります。企業で半分・大学で半分という形で研究できて、年収600万円もついてくる。博士を取ってアカデミアに残るも良し、企業研究者になるも良し。社会を知りながらドクターになれる道を作ろうとしています。

学生へのメッセージ

― 最後に、在学生へメッセージをお願いします。

 2つのことを伝えたいです。

 1つは、好きなことをずっと思い続けてほしいということ。学科選びでも、就職先選びでも、配属先の選択でも、自分が好きなことを主張し続けた方が、振り返ると良かったと思えます。私は高校のころからコンピューターへの興味が変わらなかった。その初心に向かって、周りからおかしいと言われながらも転科し、就職先でも配属先でも押し通してきた。好きなことに向かっていく力は、キャリアを長い目で見たときに本当に大事です。

 もう1つは、言われたことでも、腐らずやってみてほしいということ。社会に出ると、理不尽に思えることを命じられる場面が必ずあります。でも人間万事塞翁が馬。嫌だなと思っていても、しばらく耐えてやってみると、思わぬ業績になったり、新しい出会いにつながったりする。ファジー研究所への転属は本当にやめようと思うほど嫌だったけれど、あそこでの4年間がなければ今の自分はなかった。その時々の結果を嘆くよりも、どうやって活かすかを考えてほしいです。