5月14日開催 マインドフルネスの源流を、日本語で聞く
第3回 国際社会実装シンポジウム「マインドフルネスの科学とウェルビーイングへの社会実装」
日時:2026年5月14日(木)16時30分~18時10分
会場:電気通信大学C棟301教室およびZoomによるハイブリッド形式
講師:アルボムッレ・スマナサーラ氏(スリランカ上座仏教長老、日本テーラワーダ仏教協会)
https://www.uec.ac.jp/news/event/2026/20260424_7639.html
日本語講演でたどる、マインドフルネスの源流
「マインドフルネス」という言葉を、アプリやApple Watch、企業研修、メンタルヘルスの文脈で聞いたことがある人は多いかもしれない。
一方で、その源流に仏教の瞑想実践があると聞くと、少し身構えてしまう人もいるのではないだろうか。特に「テーラワーダ仏教」という言葉は、日本ではあまり聞き慣れない。
今回、電通大で「マインドフルネスの科学とウェルビーイングへの社会実装」と題したシンポジウムを開催される。講師として招かれるのは、スリランカ出身のテーラワーダ仏教の僧侶、アルボムッレ・スマナサーラ氏。日本で長年活動しており、講演は日本語で行われる。仏教や瞑想について事前知識がなくても参加できる内容だという。
講演会に関わる保健管理センターの栃木 衛先生は今回の企画について、「特定の信仰を勧めるものではなく、マインドフルネスの源流を学術的に考える機会」だと説明する。
宗教に対する距離感は人それぞれだ。親しみを持つ人もいれば、距離を置いている人もいる。だからこそ、「宗教だから」と遠ざけるのでもなく、かといって無条件に信じるのでもない。大学という場で、知的に、批判的に聞くとはどういうことなのか。

シンポジウムの狙いについて、栃木先生に話を聞いた。
マインドフルネスとは、「今」に注意が向いている状態
――まず、今回のシンポジウムの概要を教えてください。
今回は「マインドフルネスの科学とウェルビーイングへの社会実装」というテーマで開催します。
構成としては、最初に私が10分ほど導入をして、そのあと1時間ほど、アルボムッレ・スマナサーラ氏にお話しいただきます。その後、質疑応答という流れです。
「マインドフルネス」とか「ウェルビーイング」とか言われても、何やら何のことやら、という感じかもしれません。今回は学術的な企画として立てているので、少し硬く見えるところもあると思います。当日はそのあたりから、簡単に導入できればと思っています。
マインドフルネスって、聞いたことはありますか。
――最近よく聞く言葉ではあります。
そうですよね。みんな知っていてくれるなら話は早いんですけど、要は「今、自分が何を感じているか」とか、「今やっていること」に注意が向いている状態のことなんです。
だから、上の空とか、ぼーっとしているとか、白昼夢にふけっているとかいうと、それはマインドフルではない状態ということになります。
今は、Googleのようなテック企業の研修で使われたり、精神科の診療や心理療法の領域でも取り入れられたりしています。最近ではAIやアプリ、Apple Watchのようなデバイスにも、呼吸や瞑想に関係する機能がありますよね。
単に能率が上がるとか、パフォーマンスが向上するとかいうだけではなくて、ウェルビーイングにも関わってくる。ウェルビーイングというのは、単純に言えば幸福ということになるのかもしれませんが、身体的・精神的・社会的に良い状態であること、生きがいや人生の意義も含むような言葉です。最近は文科省などでも使われるようになっています。
その源流には、テーラワーダ仏教の瞑想がある
――マインドフルネスは身近になっていますが、その源流には仏教があるんですね。
そうなんです。
現代のマインドフルネスの大元にあるものをたどると、テーラワーダ仏教のヴィパッサナー瞑想に行き着きます。これは、2600年ほど前にブッダが始めたものとされています。
テーラワーダ仏教というのは、日本で広く知られている大乗仏教とは、歴史的な伝わり方や実践の形が異なる仏教です。スリランカや東南アジアなどに伝わっていて、初期仏教の経典や実践を重視する伝統とされています。
ただ、そこまで遡っていくと、「宗教の話とどう違うのか」という問題も出てきます。
現代的なマインドフルネスが広まった大きなきっかけは、1970年代ごろのアメリカです。ジョン・カバット・ジンという人が、宗教色を抑えた形で、医療や心理療法の技法としてマインドフルネスを広めました。
そのおかげで、宗教に関心がない人にも受け入れられやすくなり、医療や心理学、教育、企業研修などに広がっていったわけです。
ただ、本質的には、もともと仏教の瞑想法だったものなんですね。宗教色を抑えて、ある種の技法として広まったり流行ったりしてきた。そこには良い面もあります。
でも一方で、もともとの文脈からテクニックだけを切り出してきて、それで本当に大丈夫なのか、という問題意識もあります。
「お手軽」になることと、もともとの文脈
――アプリやデバイスで気軽に試せるようになっている一方で、元の文脈が見えにくくなるということですね。
そうですね。
今は瞑想アプリもありますし、AIやウェアラブルデバイスを使って、より手軽にマインドフルネスに触れられるようになってきています。お手軽な形、と言うと少し雑に聞こえるかもしれませんが、より多くの人が触れられるようになること自体は大事だと思います。社会実装という意味では、むしろ重要な方向です。
ただ、それが本当に瞑想になっているのか、という問いはあります。
もともとの仏教には、ただ瞑想技法として瞑想するだけではなくて、戒律や生活のあり方、文化的な背景もあるわけです。そこからテクニックだけを切り出してきて、本当にそれで大丈夫なのか。
これは私だけが思っていることではなくて、学術的にも議論されていることです。
今回の企画で言うと、そうした大衆化や世俗化の流れがある中で、もう一度、源流に近い文脈まで遡ってみたい。そもそもマインドフルネスとは何なのか、瞑想とは何なのかを、テーラワーダ仏教の立場から聞いてみようということなんです。
「宗教」と聞いて身構えるのは自然なこと
――一方で、宗教や仏教と聞くと身構えてしまう学生もいると思います。そこをどう伝えればいいのか悩みます。
それは、実は私も困っていて。
最初はもう少し柔らかい感じで企画名を考えていて、仏教という言葉も入っていたんです。ところが、やはり宗教色があると、なかなか難しいところがありました。今回はかなり学術的なタイトルにしていますが、日本では宗教という言葉に警戒心が働きやすいのは確かだと思います。
宗教に対する距離感は人それぞれです。親しみを持っている人もいれば、距離を置いている人もいる。特に大学の場で宗教的な背景があるものを扱うときには、丁寧な説明が必要だと思っています。
もちろん、今回の企画は特定の信仰を勧めるものではありません。そこは非常に慎重に考えています。
ただ、学術的にマインドフルネスを取り上げて、その源流をたどっていくと、仏教との関係は避けて通れません。現代のマインドフルネスは、宗教色を抑えたことで広まってきた面があります。一方で、切り離したことで流行ってきたけれど、切り離してそれだけで本当に大丈夫なのか、もともとの文脈を知らないままでいいのか、という問題意識もあるわけです。
だから、非常に難しい問題なんですね。
「無菌状態」にするだけでなく、自分で判断する力を
――学生にとっては、どういう距離感で聞けばいいのでしょうか。
私は、学生さんが多少なりとも興味を持っていて、でも「怪しいんじゃないかな」と思っているなら、それを自分で判断できるようになることも大事だと思っています。
もちろん、違法性のある活動や、本人の自由な判断を損なうような勧誘、過度な金銭要求などが問題になるケースは別です。そうしたものには慎重であるべきです。
ただ、そうではないものについて、大学という場で、一定の説明責任を果たしたうえで紹介できるのであれば、学生自身が自分の頭で考えたり判断したりする機会にしてもいいのではないかと思います。
教員の側からすると、危ういものから学生を遠ざけて守る、いわば「無菌状態」にしておくという考え方もあるかもしれません。何も知らない、聞かない、関わらないようにするということですね。
でも電通大の学生さんだったら、それぐらい自分の頭で考える力はあるんじゃないかなと思っています。ただ、頭がいいから大丈夫という話ではありません。むしろ、何が良くて何が問題なのかを判断する力を、大学生のうちに身につけておくことが大事なんじゃないかと思います。
社会に出れば、宗教に限らず、もっと複雑で判断が難しいものにも出会います。だからこそ、大学という場で、知的に、批判的に扱うことには意味があると思っています。
もちろん、人によって考え方はいろいろあるので、そこは難しいところでもあります。
「信じる必要は全然ない。むしろ疑って聞いてほしい」
――とはいえ、仏教や瞑想の話を聞くとなると、「信じなければいけないのか」と感じる人もいるかもしれません。
信じる必要は全然ないです。
むしろ、疑ってかかったほうがいいと思います。「そんなこと言っても本当なのか」「ここはおかしいんじゃないか」「これはどうなっているのか」と、批判して聞けばいい。
仏教の伝統の中にも、権威だから信じるのではなく、自分で確かめるという考え方があります。学問でも同じだと思います。新しい学説や論文を見たら、まず批判的に読んでみる。先生たちからもそう教わっていると思いますし、医学の分野でもそうです。
だから、今回の話も、信じるのではなくて、まず聞いてみる。そのうえで、自分の経験や知識と照らし合わせて、確かめたり、批判したりしてみる。それでいいと思います。
講演は日本語。事前知識がなくても参加できる
――今回講演されるアルボムッレ・スマナサーラ氏は、どういう方なのでしょうか。
スマナサーラ長老は、スリランカ出身のテーラワーダ仏教の僧侶です。日本でテーラワーダ仏教やヴィパッサナー瞑想を広めてきた方の一人です。
スリランカでは高等教育を受け、大学で教えていた経験もあると聞いています。日本に来られてからも長く活動されていて、著書も非常に多いです。『怒らないこと』という本はベストセラーになっていますし、YouTubeなどでも発信されています。
――講演は日本語ですか。
もちろん日本語です。日本語での講演に問題はありません。
ですので、仏教や瞑想について事前に詳しく知っている必要はありません。興味があれば、その場で聞いてもらえれば大丈夫です。
――先生はスマナサーラ氏に何度もお会いになっているんですよね。どのような印象の方ですか。
難しいですね。言葉にするのが難しいんですけど、独特の視点を持った方だと思います。
私自身は、学術的な興味もありますし、個人的にも長くお話を聞いてきました。スマナサーラ長老の話を聞いていると、心の働きについて、こちらが考えていなかった角度から説明されることがあります。その視点の鋭さに驚かされることはありますね。
ただ、こういう言い方をすると、かえって特別なもののように聞こえてしまうかもしれないので難しいのですが、少なくとも私にとっては、心について非常に論理的に考える視点を与えてくれる方です。
テーラワーダ仏教は「心の科学」としても見られる
――先生ご自身は、テーラワーダ仏教をどう捉えていますか。
私の理解では、テーラワーダ仏教には「心の科学」と呼びたくなるような側面があります。
もちろん、ここで言う「科学」は、現代の自然科学そのものという意味ではありません。実験室で測定するという意味の科学ではなくて、自分の心がどういう仕組みで働いているのか、怒りや不安や苦しみがどう生じるのかを、観察し、理解していく体系という意味です。
宗教というと、日本では「何かを信仰するもの」というイメージが強いかもしれません。でも、テーラワーダ仏教に関しては、自分の心がどういう仕組みで働いているのか、どう成り立っているのかを、非常に精密に見ていくものだと感じています。
私は心理学や精神医学を長く勉強してきましたが、それと比べても、心の捉え方がとても体系立っていると感じることがあります。
もちろん、だからといって無条件に受け入れる必要はありません。繰り返しになりますが、疑って聞いていいんです。むしろ、そういう姿勢で聞いたほうがいい。
「宗教だから」と最初から片付けてしまうのではなく、心をどう見るのか、心を科学的に捉えるとはどういうことなのか、という観点から興味を持ってもらえるといいと思います。
精神医学とマインドフルネスの関係
――先生は精神科医でもあります。精神医学とマインドフルネスは、どのように関係しているのでしょうか。
いい質問ですね。ここは結構面白い問題があります。
精神医学は、明治以降に日本がドイツやアメリカから輸入してきたものです。一方で、日本にはもともと禅や坐禅の文化もありますよね。お寺で坐禅を組むような伝統もある。
でも、日本に昔からあるものが、日本の中で大きく流行するかというと、そうでもない。むしろ海外で評価されて、それが逆輸入されることがあります。マインドフルネスも、ある意味ではそれに近いところがあります。
アメリカで「これは良い」と広まると、日本にも入ってくる。精神医学の分野でも、マインドフルネスに関心を持って研究したり、臨床に取り入れたりしている人はいます。
ただ、一般の精神科診療に広く浸透しているかというと、まだそうではないと思います。
実際にやるには時間がかかりますし、習熟した指導者や場所も必要です。それに対して、医療制度の中で十分な診療報酬があるわけではありません。薬を出すほうが早い、という現実もあります。
一方で、研究としては進んでいます。うつ病や不安、パーソナリティ障害などの領域で研究されていますし、瞑想しているときに脳や身体がどう反応しているのか、脳科学的にはどう見えるのかといった研究もあります。
マインドフルネスについては、一定の効果を示す研究も蓄積されてきています。ただ、対象や方法によって議論もあります。だからこそ、単純に「効きます」と言うのではなく、学術的にどう捉えるかが大事だと思います。
もちろん、マインドフルネスは医療や相談支援の代わりになるものではありません。心身の不調が強い場合は、保健管理センターや医療機関、相談窓口を利用しながら、そのうえで心をどう扱うかを考える一つの手がかりとして聞いてもらえればと思います。
『群青』への寄稿でも触れた、「心の問題」
――先生には以前、私たちが制作した学友会誌『群青』にも寄稿していただきました。今回のテーマともつながるところがあるのでしょうか。
歴史的なことを言うと、20歳ぐらいの時期って、心理学的にはアイデンティティの問題があるんです。自分が何者なのか、どう生きていくのか、人からどう見られているのか。結構大変な時期だと思います。
僕らの親の世代、皆さんからするとおじいちゃん、おばあちゃんの世代かもしれませんが、その頃には学生運動や社会思想が大きなテーマになった時代がありました。
僕が学生だった頃には、地下鉄サリン事件や阪神・淡路大震災がありました。当時はポスト構造主義などの思想も流行っていました。
とくに地下鉄サリン事件は、多くの被害をもたらした非常にショッキングな出来事でした。加害側に高学歴の若者が含まれていたことも、大きな衝撃を与えました。
ここで事件そのものを詳しく論じることはできませんが、若い時期に思想や宗教的なものとどう距離を取るのか、何を信じ、何を疑うのかという問題は、今も無関係ではないと思います。
だから、宗教や思想の問題は、単に「遠ざければいい」というだけでは済まないところがあると思っています。もちろん危険なものは危険です。そこははっきり見ないといけない。
でも同時に、自分の心の問題や、社会の中で自分がどういう立ち位置にいるのかという問題を、どう扱うのかも大事です。
今は、多様性と言われていますよね。一方で、みんなが共通して持っている考え方や枠組みが、見えにくくなっているとも感じます。その半面、自分がどう思われているかを気にしたり、コミュニケーションが断絶していたり、孤独感が問題になったりしている。
昔は、良いか悪いかは別として、ある程度共有されている考え方がありました。それを知っておくと、自分がどういう立ち位置にいるのかを掴める面もあったと思います。でも、今はそれが難しい。
だからこそ、心の問題をどう扱ったらいいのかということが、より大事になっていると思います。瞑想やマインドフルネスは、その一つのヒント、手がかりになるかもしれません。
『群青』にも書かせてもらいましたが、真剣に悩んでいる人にとって、こういうことを知っておくと、何かを考える助けになる部分があるのではないかと思っています。
もちろん、あまり言いすぎると怪しまれてしまうので難しいんですけどね。でも、今の時代は心の時代とも言えると思います。大学だからこそ、まずは知的にアプローチしてもらってもいいのではないでしょうか。
学生にとって、なぜ今このテーマなのか
――改めて、学生にとってこのテーマにはどのような意味があると思いますか。
20歳前後というのは、心理学的にはアイデンティティの問題が出てくる時期です。自分が何者なのか、どう生きていくのか、人からどう思われているのか。結構大変な時期だと思います。
今は多様性と言われていますが、その一方で、みんなが共通して持っている考え方や枠組みが見えにくくなっているとも感じます。自分がどう思われているかを気にしたり、コミュニケーションが断絶していたり、孤独感が問題になったりしている。
そういう時代だからこそ、自分の心をどう扱うか、自分の考えや感情とどう向き合うかは大事だと思います。
マインドフルネスや瞑想は、そのための一つのヒントになるかもしれません。もちろん、これが唯一の答えだという話ではありません。すべての悩みがそれで解決するということでもありません。
ただ、真剣に考えたいと思っている人にとっては、何かを考える手がかりになる部分があるのではないかと思っています。
宗教という枠だけで捉えるのではなく、そういう考え方もあるんだな、と知ってみる。心を科学する、心を科学的に捉えるとはどういうことか、という観点から興味を持ってもらえるといいと思います。
参加を考えている学生へ
――最後に、参加を考えている学生に向けて一言お願いします。
今回のシンポジウムは、マインドフルネスや瞑想にすでに関心がある人だけでなく、メンタルヘルスやウェルビーイング、心の仕組みに興味がある人にも聞いてもらえたらと思っています。
宗教だからと最初から距離を置くのでもなく、かといって無条件に信じるのでもなく、一つの知的なテーマとして聞いてもらえればいいと思います。
講演は日本語で行われます。仏教や瞑想について事前知識がなくても大丈夫です。
申し込みは、人数把握とZoom参加用URLの送付のためにお願いしていますが、対面であれば当日の参加も可能です。興味があれば、ぜひ気軽に参加してみてください。
